「厳しい時代だったからこそ、彼は夢のような曲を書いた‥‥」

ソリスト松田拓之さんに聞く
(2008年3月9日 第22回定期演奏会プログラムより)

 

この曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を選ばれたのはなぜですか。

 ぼくのほうからいくつか候補の曲を挙げて、ブロカートのみなさんの意見を伺って決めたわけですけれど、やっぱり好きだからですね。どこが好きか、ひとことで言うと、ロマンティックなところですね。抒情性と切なさがあふれています。曲の初めのロシア風の旋律もいいですね。
 昔から、ある作曲家が好きになると、その人の曲ばかり集中して聴く傾向がありました。チャイコフスキーに夢中になったこともあるし、ブラームスに明け暮れていたこともあります。プロコフィエフもそんな作曲家のひとりです。おそらく古典交響曲あたりを聴いたのがきっかけだったと思います。中学、高校のころ、当時はまだあまりCDも買えませんでしたから、FM放送をテープに録音して繰り返し聴いていました。ピアノ協奏曲の第3番とか、「キージェ中尉」とかも好きでしたね。
 その後、高校3年の時には、当時ついていた辰巳明子先生のレッスンで、この曲を勉強したんです。桐朋学園の図書館で、昼休みにダヴィッド・オイストラッフが演奏したレコードを借り出して、ヘッドフォンでよく聴いていました。
 この曲は、たんにロマンティックだというだけではなくて、当時の社会情勢を反映しているところがあります。曲の中に温度差があるというか、ほんとに、温かいものがあるかと思うと、その裏に冷たいものがある。これはプロコフィエフのほかの曲にも多いのですけれど、その温かい部分と冷たい部分の差が激しいんです。それはまた、色彩感に富んでいるということでもありますけどね。

 
1917年に勃発したロシア革命のあと、27歳のプロコフィエフは、日本を経由してアメリカへ渡りました。そののち、さらにパリへ移ったりと、10数年間の亡命生活を送ったんでしたね。その彼が、1933年にソ連へ帰国して、その2年後に完成したのがこの曲ですね。

 亡命先から、厳しい社会主義体制の下にある故国へ戻ろうと決心したということは、ある意味で、その状況を受け容れることを決断したということでしょう。
 社会主義の政府当局は、民衆にわかりやすい曲を書くように要求したでしょうね。前衛的な音楽を書く人の中には、曲がだんだんわかりにくくなって行く人もいます。けれども、そういうわかりにくい書き方でこそ表現できることもある。プロコフィエフの場合、若いころの室内楽など、たいへん前衛的でわかりにくいものもありましたけれど、ソ連に戻ってからは、曲がわかりやすくなっていきます。それは当局に迎合したからだという人もいます。でもぼくは、必ずしもそうだとは思いません。
 それが現れているのが、先ほど言った「温度差」ではないかと思うんです。温かい部分の裏にある冷たさ、それで何かを表現したいと思ったのではないでしょうか。平和な国においては、作られ得ないような作品だと思います。たとえば第3楽章の、スネアドラム(小太鼓)の入ってくるところ。砲弾の響きが聞こえてくるような気がしませんか。
 ショスタコーヴィチは、当局に対して辛辣な皮肉を飛ばしたり、反抗をあらわにしたりしました。プロコフィエフの生きかたは、それとは違っています。けれども、わかりやすいというだけでは終わっていないと思います。

 
ところで、ヴァイオリンを始められたのは、どんなきっかけからだったのでしょうか。

 4つ年上の姉が習い始めて、うちでギコギコやっていました。それを見て、子ども心に、面白そうなおもちゃだなあと、親に「ぼくもほしい」ってせがんだのが最初でしょう。4歳ごろのことでした。きょうだい2人に何でも平等に、と考えていた親はすぐにぼくにも習わせてくれました。初めのうちは、もちろん遊びの感覚でしたけれど、5歳のときに親の転勤で大阪から東京へ出てきました。それをきっかけに、先ほどもお話した辰巳明子先生に習うようになって、厳しさが突然やってきました。たいへん熱心で、でもたいへん怖い先生で、ぼくは泣いたりもしていました。そのうちに、先生の教えている桐朋学園に入るのが当然のことのようになったんです。
 「こんなにお金がかかるとは思わなかった。いつやめてもいいよ」と親は言うようになるのですが、そういわれると逆にやめたくない。中断したことは一度もありませんでした。
 ヴァイオリンが生活の一部で、しかもいちばん大切なものでした。やめてしまうことが怖いような感覚もありました。毎日、5時には家に帰ってきて練習をしました。それが生活の中の基本的な時間という感じでしたね。ほかのジャンルの音楽にはあまり興味がなくて、クラシック以外の音楽はほとんど聴いたことがありませんでしたね。
 もうレッスンは受けていませんが、辰巳先生にはずうっと習い続けてきました。先生は去年、還暦を迎えられてパーティがありましたけれど、とにかく5歳のときからついているんですから、いまでも子ども扱いで、会えば「ひろゆきくん、ひろゆきくん」ですよ。

 
8年前にN響に入団されてから、何か変わりましたか。

 うーん、まず変わったのは体型でしょうね。むかしはとっても痩せていたんですよ。それはともかく、人は生きていれば誰でも変わるものだと思います。ぼくがオーケストラを初めて経験したのは、高校1年のときです。ドヴォルザークの弦楽セレナーデを1年間ずっと練習して、発表会をしたりしていました。でも学校はチケットを売ろうという気がないらしくて、お客さんはいつもパラパラ。もう面白いくらい、聴きに来る人が少ないんです。
 でもN響では、お金を払って聴きにきてくださるお客さんが、ホールいっぱいにいらっしゃる。それまでは、演奏するのは、試験のためとか、コンクールのためとか、とにかく自分のためということが多かった。それはそれで大切なことではあるんですが、N響へ来てから、この大勢のお客さんに喜んでいただきたい、この人たちのために演奏したい、と思うようになりました。N響という素晴らしい場で、できることがある。それが大きな意識の変化ですね。

 
ブロカートフィルについて、どうお思いになりますか。

 このオーケストラに教えに来るようになって4年ですか。知っている顔も多いし、もう、仲間っていう感じですね。練習のあとはいつも飲み会をやっているようだし、メンバー同士、とっても仲のいいオーケストラですね。うまくなったかどうか、それは教えに来ている白井篤さんとぼくの責任で、うまくなったといえば自慢になるようで言いづらいけれど、まだ、やるべきことはいっぱいありますね。ともあれ、自分のことのように思っています。
 ここへ来るまで、人に教えるということはあまり経験がありませんでした。でも教えることによって、音楽的に変わりますね。「こうしなさい」と言うことに、自分で責任を持たなきゃならない。自分もそれを出来なきゃなりませんからね。常にベストを尽くさなければいけないという気持ちを強く持つようになりました。
 ブロカートの過去を振り返って今と比べてみて、あのころはこれが出来なかったなと気づくこともあります。お客さんのアンケートに「弦がよくなった」と書かれることもあるようですが、ぼくはまだ満足していません。まだまだ「よくなったね」とはいえません。でも、オーケストラの体制としてはだいぶ整ってきたし、練習の雰囲気もよくなってきた。練習のときには、同じことを何度も繰り返し言っていますけれど、言ったことに対する反応はよくなったと思いますね。まあちょっとずつですけどね。

 
プロコフィエフの協奏曲第2番に戻りますが、この曲を演奏していて、難しいと感じられるのはどういうところでしょうか。

 いまの日本には、何でも物がある。むずかしいことはパソコンがやってくれるし、寒ければエアコンをつければいい。こういう幸せな時代に暮らしていて、苦労を知らないわれわれには、プロコフィエフがあの曲を書いた時代の雰囲気を理解することは難しいし、当時の厳しさを想像することは困難でしょう。ロマンティックで美しい音楽の奥にある深いものをつかむことは至難の業だと思います。
 7拍子とか、5拍子とか、変拍子が出てきますけれど、それは技術的にはたいした問題ではありません。いまの日本という時代に身をおいて、この曲を理解することが難しいのだと思うんです。

 
プロコフィエフをお好きなのはなぜでしょう。

 プロコフィエフは、なんだか自分に近いなと思える作曲家なんです。ただの勘違いかもしれませんけれどね。なんというか、ちょっと弱いというか、やさしいところがあるんですよね。ソ連当局が高圧的に「こうしろ」と命じると、つい「はい」って頭を下げちゃうみたいな‥‥。そして、彼には押し付けがましいところがないんです。
 プロコフィエフの曲の中で好きなのは、さっき触れた古典交響曲や、ピアノ協奏曲の第3番、第2番、「キージェ中尉」「ロメオとジュリエット」なんかですね。
 それにしても、このヴァイオリン協奏曲第2番はいいですね。第1番もいいけれど、第2番は誰が聴いても、ぐっとくるんじゃないかな。ことに第2楽章が大好きです。いろいろな現実があるけれど、それを越えてやさしい気持ちになると、ああいう音楽が書けるんじゃないかな。第二次世界大戦の前の不穏な時代の作品とは思えない。なんでなのかなあ。一見、幸せに満たされているように聞こえる。でも奥の深い音楽だと思います。厳しい時代だったからこそ、彼は夢のような曲を書いて、いろいろな人たちを満足させてくれる。すごいなと思います。

 
(聞き手 鈴木 克巳)

 

 

 

 

 

 


 

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