「シューマンを弾くと別人だね」と誉められました‥‥。

ソリスト桑田歩さんに聞く
(2008年9月21日 第23回定期演奏会プログラムより)

 

シューマンの協奏曲を選んだのはなぜでしょうか。

 チェロのコンチェルトというと、ドヴォルザーク、ハイドン、エルガーといったところが有名ですけれど、ドヴォルザークは演奏を依頼されることが多くて、おととしは1年間に6回も演奏しました。今年も11月に1回演奏します。それでなければエルガーと指定されることが多い。小編成のオーケストラだったらハイドン。シューマンは演奏する機会が少ないんです。十数年前、新星日響(現在の東京フィル)に在籍していたころ、一度、このオーケストラと演奏したことがありますけれどね。でも大好きな曲で、とっても弾き応えがあるんです。オーケストラのメンバーとして伴奏したこともありますけれども、オーケストラのほうも、音符の数はあまり多くないのに、弾いていて充実感がある。
 今回は吉川さんから、「何でもいいよ」といわれて、「ほんとに?」と答え、「じゃあ、シューマン」ということになったんです。ドヴォルザークやエルガーのと違って、シューマンのにはトロンボーンがないので、編成の点から、アマチュアオーケストラからは、なかなか頼まれにくいということもあるんです。

 
この曲を初めて聴いたのは?

 最初はレコードでした。カザルスのソロで、プラード音楽祭でのライヴでした。出だしのインパクトが強烈でしたね。短い全奏のあと、いきなり独奏チェロがテーマを弾き出す。あの冒頭は一度聴いたら忘れられません。その後、ヨーヨー・マの演奏をじかに聴いたりして、ますますいい曲だなと思うようになりました。
 ぼくがウィーン留学中についていた先生のダニール・シャフランがこの曲を非常に得意にしていたということもあります。シャフランは、旧ソ連で、ロストロポーヴィチと並んで、西側へ出て活躍していた素晴らしいチェリストで、カバレフスキーの協奏曲第2番は、彼のために書かれたものです。彼も若いころにはいろいろなオーケストラと協演したのですけれど、あまりにも自由で個性的な演奏をするので、ついていける指揮者がいなくて、協奏曲を演奏する機会がほとんどなくなってしまったほどなのです。ところが留学中に一度、彼が霧島音楽祭に招待されて来日したときに、一緒について帰国したことがあります。東京フィルと、彼がこのシューマンを弾いたのですが、空前絶後、ものすごく個性的な演奏でした。あれ以上の名演奏はないと今も思っています。

 
シューマンの曲が自分に合っていると思いますか。

 中学校のときから、N響にいらした堀了介先生についていますが、あまり誉めてくださるかたではないのに、「きみ、シューマンうまいね」と言われたことがあります。そのほかヴァイオリンの先生からも、「シューマンを弾くと別人だね」とか「シューマンの陰鬱な感じを捉えているね」とか、誉められたことがあります。試験で弾いても、ドヴォルザークだと点数が低いのに、シューマンは評判がいいんです。高校生くらいからシューマンが得意というのはわりとめずらしいかもしれません。シューマンは、ただ情熱的に弾けばいいというものじゃない。もっとおとなの音楽というか、人間のいろいろな多面性が分って、分析できるような年齢にならないと弾けないのだと思います。でもぼくは、子どものころから、おとなの表情を見て、心の中で考えていることを想像するのが好きでした。まあ、いやなガキだったんですね。
 たとえばこんなことがありました。父の教え子の一人があるオーケストラに入団して久しぶりに訪ねてきたときのことです。4つ違いの兄とぼくは彼に連れられてデパートへ行きました。何でも好きなおもちゃを買ってくれるというので、兄は1万円もする野球ゲームをねだった。でもぼくは200円の仮面ライダー手帳でいいといいました。レストランでは、兄は旗が立っているお子様ランチ、ぼくはザルそば。あとでその理由を親に聞かれて、ぼくは言ったそうです。「だってオーケストラの人って、あんまりお金もらっていないんでしょう?」って。
 シューマンの音楽は分裂症的だとか言われますけれど、人間はみんな分裂症的なところを持っています。まして優れた芸術家がまともなわけはありません。ベートーヴェンにしても、ブラームスにしても、チャイコフスキーにしても、みんな破綻した部分があるでしょう。シューマンはライン川に飛び込んで自殺未遂までしていますから、特にクローズアップされているのかもしれませんけれど、ロマン派の人はみんなノーマルじゃありませんよ。われわれの中にもあるけれど、ふだんは表に出ないような潜在的な激しいものが創造の源になっていると思うんです。

 
シューマンの協奏曲の魅力について、もう少し細かく話していただけますか。

 第1楽章は、ソナタ形式のような古典的な形式を大事にしています。けれども、そこから外へはみ出そうとする力、そこが魅力ですね。ロマンティックなテーマを古典的な方法で展開していくんですが、その枠から、一つ一つの音が、はずれたい、はみ出したいと思っている、それがエネルギーになっている。生きている音符のエネルギーがこの楽章に凝縮されています。
 第2楽章は、究極のロマンティシズムですね。独奏チェロとオーケストラのチェロのソロとがアリアの二重唱のようにいっしょに歌う。協奏曲の中で、同じ楽器2本でこういう書き方をした人はほかにいませんね。シューマンはオペラをわずかひとつしか書いていませんけれど、素晴らしい歌曲をたくさん残しました。そういう歌と同じような、流れるメロディがここにはあります。
 第3楽章は、不思議な曲です。支離滅裂だという人もいる。じっさいまとまっていないようにも聞こえますが、無駄があるように見えて、じつは無駄がないんです。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第3楽章などは、カット版があって、ぼくなどむしろそちらのほうが好きなのですけれど、シューマンのこの曲は、ひとつひとつの展開につながりがあって、カットすることができません。いかにも一気に書いたような感じがあって、その勢いがすごいと思います。

 
ところで、チェロを始めたのはなぜでしょうか。

 ぼくの父はもともと音楽家になることが夢でしたけれど、戦争のために断念せざるを得なくなった。そうして、写真を撮ることや書くことが好きだったので、新聞記者になった。大阪出身でしたが、茨城県の地方新聞に就職して、当時は田舎の農村だった土浦に住むことになったんです。でもやはり音楽を仕事にしたくて、記者を辞め、同じ土浦で音楽教室を始めました。この間、ぼくがコンチェルトを弾いた土浦交響楽団は、30年前に父が作った弦楽合奏団に管楽器が加わってできたものなのです。父はヴァイオリンとピアノとチェロをひとりで教えていました。
 そんな環境の中で、3歳からヴァイオリンを始めました。f字孔から何か小さな物を入れてガラガラ振ったり、おもちゃにして遊んでいました。でも4つ上の兄が先にヴァイオリンを始めていて、もちろんぼくよりうまいし、追いつかない。それに高い音が耳元でキンキンするのが好きじゃなくて、なかなか身が入らなかった。でも父親は教育者としてなんとか続けさせようとする。「そんなに練習しないんなら、もうやめっちまえ」と、小さなヴァイオリンを庭に放り投げられたことが3回もありました。でも壊れたヴァイオリンは、明くる日にはちゃんとなおっている。父はとても器用で調整や修理も自分でしているんです。それにだいたい、音楽教室用の楽器がうちには何十台もありましたから。
 そんな父も、いいかげんあきらめたのか、8歳のときに、もうヴァイオリンを弾かなくてもいいといわれました。そのときはうれしかったですね。まいにち外で野球なんかして遊んでいました。ところがある日、学校から帰ってみると、勉強机に小さなチェロが立てかけてあったんです。ひとことも説明はありませんでした。いま思うと1/8の大きさです。それまでおとな用のチェロはもちろん知っていましたけれど、大きすぎて自分が弾くものだとは思っていなかった。でもその日、へえ、と思ってその楽器に触ってみた。本能的に、あっ、これだったらいやにならないなと思いました。音域が好きだったんですね。その日のその瞬間が今につながっています。チェロを弾くのが当たりまえと思って、ずっとここまで来ました。挫折したり、辞めようと思ったりしたことは一回もありません。幸せなことだと思います。

 
N響ではどんな体験をなさいましたか。

 N響は昔から大好きで、中学のときから定期演奏会に通っていました。ほかのオーケストラに在籍していたときも、テレビを見ながらボウイングを写したりもしました。いわばぼくにとっての規範でした。まさか自分が入るとは思ってもいませんでしたけどね。
 入ってから10年くらいになりますが、いちばん強く印象に残っているのは、スヴェトラーノフが振ったラフマニノフの交響曲第2番です。本番ももちろんよかったのですけれど、それよりも素晴らしかったのが、初日の練習でした。午前中に第1楽章と第2楽章を終えて、午後いちばんに第3楽章を初めて通したときのこと。あとにも先にもない体験でした。おそろしくゆっくりとしたテンポで、途中一度も止めずに最後まで行った。もう、時空を超えたというか、時間が止まったと思いました。最後の音が消えたあと、みんなしばらく言葉が出ませんでした。オーケストラの団員とか何とかいうこととは関係なく、音楽をやっているひとりの人間として、ほんとうに幸せにひたることができた時間でした。

 
最近出されたCD、ソロ小品集「ヴォカリーズ」について‥‥。

 ぼくのような中堅の演奏家は、ソナタのCDを出すのがふつうでしょうね。小品集というのは、デビューしたての若手奏者にふさわしいかもしれません。でもぼくは、ソナタよりも小さな曲をいろいろ弾くほうが好きで、個性を出しやすいように思ったんです。若いときには先生がロシア人だったこともあって、ロシアものはわりと得意でしたけれど、その後、N響を含めて18年間のオーケストラでの経験を通じて、フランスものやラテンものなど、いろいろなスタイルの音楽を演奏できるようになりました。ファリャなどラテンものはデュトワから叩き込まれましたしね。そうした多様な音楽を弾き分けられるようになった成果を聴いていただけたらうれしいと思っています。

 
ブロカートフィルについて、どうお思いですか。

 残念なのは、これまで低弦の分奏を見る機会はよくありましたけれど、全奏に接することが少なかったことです。でも昔と比べるとほんとにうまくなりました。いつだったか、シベリウスの第1番の合奏を初めて聞いたときには、ちょっともう帰ろうかと思ったくらいでしたけれどね。アマチュアオーケストラとは、ずいぶんたくさんお付き合いがあります。楽しむことを第一に考えているところもあって、それはそれでいいと思います。でもブロカートは、いい意味で一生懸命ですね。体育会系の学生オーケストラのような行き方はいちばん嫌いですけれど、そういうのではなくて、いい演奏をしたいという向上心が強く感じられます。ヴァイオリンの人が減ってしまったようですけれど、残念ですね。何とかメンバーを獲得してもらいたい。ヴァイオリンはオーケストラの花ですから。
 この間、シューマンを弾き振りして感じたのは、よく聴き込んで曲の隅々まで知っている人が、かなりの数いるなあということでした。自分の譜面にかじりついている人ばかりだと、指揮者なしであの曲を合わせることはできません。メンバーの全員が曲を知り尽くしてくれたら、さらに素晴らしいと思います。オーケストラで、スイッチを入れるのは指揮者ですけれど、そのあと動かすのは一人一人の力なのですから。オーケストラが勝手にやってくれて、指揮者がちょっとだけ方向を示すのがいい。その最高峰がウィーン・フィルですけれどね。

 
(聞き手 鈴木 克巳)

 

桑田歩
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桑田歩
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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/