「初めてフルートから音の出た瞬間の感動は、ものすごく大きかったです」

甲斐雅之さんに聞く
(2017年9月18日 第39回定期演奏会プログラムより)

 

ニールセンとのご縁は。

 20年ほど前の夏のことです。フルートのコンクールに出場するために、デンマークのオーデンセを訪れました。ここはアンデルセンの生まれた街です。童話に出てきそうな可愛らしくてきれいな街並みや、街の人たちの素朴な人情が強く印象に残っています。オーデンセのあるフュン島は、デンマークの国民的作曲家であるニールセンの故郷で、「カール・ニールセン国際音楽コンクール」に参加しました。フルート部門はこの年が第1回目でした。しかも出番は40人近くいた出場者のうち1番目だったんです。審査員がアルファベットの札を引いたら、最初に出たのがK。Kaiですから私になるんですね。私にとっては、海外旅行も初めてだったし、コンクールを受けるのも初めてのことでした。ホームステイ先のおばちゃんが、明るくておしゃべりで、作ってくれた食事もおいしかったことを懐かしく思い出します。3年ほど前にも行きましたが、街はほとんど変わっていなくて、のんびりした感じでした。

 
フルートを始めたきっかけは。

 ピアノの教師をしていた母から手ほどきを受けて、小学校の1年生のころにピアノを始めていましたが、その後、夢中になったのは学校で習ったリコーダーでした。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」の主題歌や、広島カープの応援歌なんかを耳で聴き憶えて、ピーヒャラピーヒャラやたらと吹いて、友だちにも教えて得意になっていました。4年生のとき、リコーダーと同じように縦にかまえるクラリネットを吹きたいと母に頼みました。そのころは広島県の東の方にある府中市に住んでいたのですが、あいにくクラリネットの先生が見つかりませんでした。けれどもフルートの先生ならいるよ、と。ここで人生が変わったんですね。「アルルの女」のフルートのあの音色に憧れて、とか言ってみたいのですが、そうではなかったんです。楽器を横にかまえるということは眼中にありませんでした。ともかくそういうわけでフルートを習うことになりました。電車に1時間ほど乗って福山市の先生のお宅へ毎週、通いました。
 フルートは、初めは吹き口のある頭部管だけを使って音を出す練習をします。ところが、毎週毎週挑戦してもいっこうに音が出ません。リコーダーと同じように管を口にくわえている感じで吹いてしまうのです。まったく音が出ないまま3か月がたち、もうフルートが嫌いになりかけました。やめてしまおうかと思い始めて、ちょっと投げやりな気持ちで吹いたところ、ポーッと初めて鳴ったのです。その瞬間の感動はものすごく大きかったのです。

 中学生になると、スポーツのほうが面白くなってレッスンをサボったこともあります。ピアノも、ときどき投げ出したりしながらなんとか続けていました。でもフルートの音色が好きだったのでしょう。だんだんピアノよりも熱を入れるようになりました。中学校の後半から高校にかけては練習曲を一生懸命さらったりしました。曲が難しくても気になりませんでした。初めて音が鳴ってうれしかったときの感動がずっと残っていましたから。その後もフルートをやめようと思ったことは一度もありません。

 
その後はどんな転機がありましたか。

 フルートをずっと続けていて、やはり大きな転機は東京に出てきて東京藝術大学に入ったことでしょうね。広島にいる時にはまだ、いろいろな曲が器用に吹けて友だちに自慢できたらいいな、ぐらいの感じでした。けれども、高校3年ごろのときに本格的に勉強したいと思うようになりました。地元の大学の教育学部の音楽科に行って小学校か中学校の音楽の先生になるか、専門の音楽大学に行くか考えて、東京に出ることを選んだのです。東京は毎日音楽会があって刺激的な街でした。NHK交響楽団も3階の後ろの方の自由席でよく聴きました。

 2002年にN響に入りました。入れるとは思っていなかったのですが、タイミングがよかったのですね。オーケストラのオーディションは、いつでもあるわけではなくて、ちょうど空きが出たときにこちらの条件が合っていなくてはなりません。それまでに、N響を含めていくつもの在京のオーケストラにエキストラとして出演していました。当時は、中で吹いていてオーケストラの違いも楽しかったです。フルートだけではなく弦も含めて、オーケストラによって発音の仕方やタイミングが違っていて、それぞれにいいところがあるのです。とっても勉強になりましたね。

 2005年9月から1年間は、ザルツブルクで勉強しました。ちょうどモーツァルトの生誕250年に当たる年でした。たまたま借りた部屋が、モーツァルトの生まれた家のすぐ近くでしたので、いろいろと想像がふくらみました。モーツァルト週間というのが冬にあり、夏には有名なザルツブルク音楽祭がありました。ニコラウス・アーノンクールの指揮した「フィガロの結婚」は、残念ながらチケットが手に入らなくて行かれませんでしたけれど、いろいろな演奏会に通いました。そのときちょうどパーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツカンマー・フィルハーモニーも聴きましたね。

 
ニールセンの協奏曲を知ったのはいつでしょうか。

 高校3年生の秋に、神戸で開かれたフルートコンクールを聴きに行きました。フィンランドのペトリ・アランコとその後ベルリン・フィルに入ったエマニュエル・パユの二人が1位を分け合いました。パユは当時19歳でいかにも若き神童という感じでしたが、アランコは26、7歳。学者肌で、のちにシベリウス音楽院の先生になった人です。彼には大人の音楽を感じました。素朴で温かくてしっかりしていて、しかもどことなく涼しげな音に魅せられました。そして、自分もああいう音を出してみたいと思いました。

 そのアランコの演奏するモーツァルトやバッハを生演奏で聴きました。彼のCDで聴いたのが、ニールセンのフルート協奏曲との出会いでした。そして東京藝大の卒業試験で、この曲を演奏したのです。現在では、学生がこの曲を採り上げることがよくありますが20年ぐらい前にはまだ珍しい曲でした。

 今ではニールセンの協奏曲は、フルートを勉強する学生にとっては避けては通れない曲です。でも、オーケストラと一緒に演奏されることはめったにありません。N響もおそらく採り上げたことがないでしょう。ですから今回はすごくうれしい機会なのです。

 
この協奏曲の魅力はどんなところにありますか。

 この協奏曲は、近代の曲で、あまりおしゃれという感じでもないのですけれど、日本人にはあまり聞きなれない感じかもしれません。でも、どことなく涼しげで、北欧の雰囲気を感じさせます。チャイコフスキーやラフマニノフのねっとりした感じとはまったく違っていて、あっさりしていて、きっぱりしています。メロディに不思議な感じがあります。フルートの特性を生かしたよくできた曲です。高い音域で鳥のように飛び回ったりする、フルートらしい技巧的な部分がたくさんありますね。

 この曲のフルートは、高音域だけではなくて低音域も魅力的です。フルートの魅力をまんべんなく聞かせていると思います。トリルがたくさん出てきますし、フルートの得意な速いパッセージをなめらかなレガートで吹く部分、叙情的な旋律をたっぷり歌わせる部分も十分に含まれています。第2楽章には、おどけたところも顔を出します。バストロンボーンやクラリネットとのやりとりなど、管楽器の扱い方がうまいですね。ティンパニとのからみも聴きどころです。ニールセンにはクラリネットの協奏曲もあります。フルートとクラリネットは、彼にとってことに重要な楽器だったのだと思います。この協奏曲は、ニールセン自身がヴァイオリンを弾いていたコペンハーゲンのオーケストラのフルート奏者のために書かれたものですが、その人はとっても上手だったのでしょう。

 
 
(聞き手 鈴木 克巳)

 

 

ホームステイ先の部屋で練習。

ホームステイ先のおばちゃんと。

 

美しいフュン島。   卒業試験のときに使った楽譜と現在出版されている楽譜。
スラーの位置など、演奏指示が微妙に違っている。

 

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/