「ブラームス、大好きです」

白井篤さんに聞く
(2019年10月14日 第43回定期演奏会プログラムより)

 

どのようにして音楽と出会ったのでしょうか。

 母は音楽大学を出ていて、ピアノの先生をしていました。父は技術系のサラリーマンで、楽器はピアノやギターにちょっと触っていたくらいですが、クラシック音楽を聴くのが大好きでした。それで、もの心がついた頃には、うちの中にテレビやラジオやレコードで、音楽が流れているのが、ごくふつうのことでした。ある時から、母がヴァイオリンを習い始めました。自分では憶えていませんけれど、3歳の時、母のレッスンにくっついて行って、「ぼくもやりたい」と言ったのだそうです。もっとも、その先生の教え方が怖かったせいなのでしょう。半年ほどでやめてしまいました。
 小さい頃にどんな音楽を聴いたかは、あまりよく憶えていないのです。ただ、ひとつはっきり記憶しているのは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲です。小学校3年の時だったと思います。家にあったLPレコードでした。第1楽章のオーケストラの間奏の部分が大好きでした。音の大きいところはレコード面の溝が大きく揺れているのでわかります。そこを狙って針を落として、何度も何度も聴きました。クリスチャン・フェラスのヴァイオリン、カラヤン指揮のベルリン・フィルの演奏でした。でも、ヴァイオリンのソロ自体には、あまり関心がありませんでした。

 
なぜヴァイオリンをまた習うことになったのでしょう。

 その小学校3年生の当時は、神奈川県の海老名市に住んでいました。その頃、もう一度ヴァイオリンを習い始めました。ヤマハの音楽教室で、今度はやさしい先生だったため、長く続いたようです。そして、小学校5年生の頃、厚木にジュニアオーケストラができました。今はあちこちにジュニアオーケストラがありますけれど、当時はまだ少なかったかと思います。その創立メンバーの一人として参加したのです。冨田欣一さんという中学校の先生をしていた方が指導者でした。年に1回か2回の演奏会のほかに、クリスマスコンサートなどがあり、いろいろな曲を経験しました。ここでオーケストラで弾くことの楽しさを知りました。一人で弾くのと違って、みんなで力を合わせてもっと大きい世界を作れることに、魅力を感じたのです。
 中学に入ってからもジュニアオーケストラは続けていました。けれども、それ以上に夢中になったのが吹奏楽でした。もともと、小学校に鼓笛クラブというのがあって、鍵盤ハーモニカや縦笛、小太鼓、大太鼓などで合奏していたのですが、その中でトランペットを吹いていました。中学では、そのトランペットにさらに熱が入りました。楽しくて華やかな音色が気に入っていました。平日は吹奏楽部でトランペットを吹き、週末はジュニアオーケストラでヴァイオリンを弾くという日々を送りました。当時は、トランペットが9割、ヴァイオリンが1割くらいの比率だったかと思います。ただ、吹奏楽を指導していた先生が、吹奏楽用の曲よりも、ふつうのクラシック音楽を編曲した作品を主に採り上げる方でした。それで、チャイコフスキーの交響曲第4番や、ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、この吹奏楽部で初体験しました。

 
高校と大学はどう過ごされたのでしょうか。

 中学2年の終わりごろになって、厚木ジュニアオーケストラのトランペットの友だちが、音楽大学の付属高校を受けると聞きました。世の中にそういう学校があるということを初めて知って、国立音楽大学の付属高校をヴァイオリンで受験することにしたのです。ヴァイオリンを習っていた昭和音大の学生さんに、国立音大の先生を紹介してもらって、レッスンに通いました。熱心だったトランペットではなくて、ヴァイオリンを選んだのは、トランペットは先輩から習っただけだったのに、ヴァイオリンは専門の先生のレッスンを受け続けていたせいだと思います。ただ、プロの演奏家になろうとはっきり決めていたわけではありませんでした。
 高校に入ってしばらくして、このまま行くとプロの演奏家になるのかなと思うようになりました。けれども、周りにはうまい人がたくさんいました。中学時代、適当に過ごしてしまったため、ほかの人たちと比べて、音楽についての知識や基礎的な訓練が遅れていることを感じました。それでもなんとか、桐朋学園大学へ進むことができました。桐朋のオーケストラで演奏した曲で、強く印象に残っているのは、秋山和慶さんが指揮した、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」です。ピアノ独奏を伴っていて、ジャズの要素も取り入れた作品でした。

 
N響にお入りになった時の印象は。

 N響に入れたのは、とっても運がよかったのだと思います。大学3年の時、当時ついていた篠崎功子先生が、N響のコンサートマスターだった堀正文先生を紹介してくださいました。堀先生のもとへレッスンに通い、そのご縁で、N響のエキストラとして使っていただくようになり、その後オーディションを受けて入団しました。オーケストラは、ジュニアオーケストラから音楽高校のオーケストラ、音楽大学のオーケストラとずっと経験しています。けれども、エキストラとしてN響の練習に初めて参加した時の衝撃は忘れられません。あまりのレヴェルの違いに驚嘆しました。最初はたしか年末の第九の練習でした。あの難しい曲を、ざっと通すだけで、ほとんど練習をしないのです。初めて音を出した時に、すでにきちんとアンサンブルができていて、隣の人は完璧に弾いています。恐ろしいところだと思いました。実際はそうではなかったのでしょうけれど、完全に仕上がっているように聞こえました。弦や管のアンサンブルの精度、音程の良さ、指揮者の要求に対する反応の素早さ……。コンサートマスターが鉛筆を手にしてちょっとでも書き込みをすれば、それが一瞬にして後ろまで伝わります。

 
その後、ウィーンへ留学なさいましたね。

 ウィーンはクラシック音楽が街にあふれています。日本では、一般の方がクラシック音楽に接する時は、ちょっと特別な感じになりがちですけれど、ウィーンでは、演奏会もいっぱいありますし、作曲家が暮らしていた家だとか、行きつけだったレストランだとかがそのまま残っています。日常とクラシック音楽が近いことを強く印象づけられて、素敵だなあと思いました。ぼくが習ったのはアレクサンダー・アレンコフというロシア人のかたでした。オイストラフのお弟子さんで、グリンカ・カルテットに所属していらしたかたです。室内楽のことや、チャイコフスキーなどロシアものについても、多くのことを教えていただきました。

 
きょうお弾きになるブラームスの協奏曲について。

 たいていは、その時に自分が取り組んでいる曲が好きなのです。例えば、昨日はモーツァルト、今日はマーラーというふうに。けれども、ブラームスはとっても好きな作曲家の一人です。どこか影がある音色や雰囲気がいいですね。オーケストラの響きには厚みがありますし、美しいメロディが随所に現れて、和声の進行がまた素晴らしいです。この協奏曲もほんとにブラームスらしい作品です。第2楽章の冒頭のオーボエソロを聴いたら泣いちゃうかも、と思うくらい好きです。名ヴァイオリニストのサラサーテは「オーボエがあんなに美しいメロディを奏でて聴衆を魅了しているのを、自分はただ楽器を持って見ているのは我慢ならない」といったそうですが、そのあとに続くヴァイオリンの美しさは冒頭のオーボエのソロがあってこそ、だと思っています。また、ほかの楽章でも、ソロヴァイオリン以上にオーケストラが重要な役割をになっていて、文字どおり、オーケストラとソリストが協奏する曲なのです。

 
(聞き手 鈴木 克巳)

 

 

 

 

 

協奏曲の練習風景 ソリストと指揮者とインタビュアー

 

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/