「小学校1年のとき、小さいヴァイオリンを手にした瞬間から……」 村松龍さんに聞く
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音楽との出会いについてお聞かせください。 |
ピアノを習っていた二つ歳上の姉のレッスンについて行って、ピアノの下に潜って遊んだりしていたのが、いちばん古い記憶かもしれません。ただ、父も母も音楽にはあまり縁がありませんでした。埼玉県の鶴ヶ島というところに住んでいましたが、父は中学校の美術の先生をしていましたし、母も美術大学を出てデザイン関係の仕事をしていました。石膏でできた女性の胴体の像とか、ベートーヴェンのデスマスクなどもありましたね。なぜかうちにお琴がひとつありまして、小学校1年のとき、そのお琴との交換で小さいヴァイオリンをもらったのです。それがきっかけで、近所の先生についてヴァイオリンを習い始めました。 |
ヴァイオリンが大好きだったのですね。 |
小学校5年のとき、東京音楽大学附属の子どものための音楽教室に姉と一緒に通い始めました。そこで初めてほかの先生に教わることになりました。このころから、練習するのが好きになりました。それで5年生のときに全日本学生音楽コンクールに出場しました。本選にはぼくよりもひとつ上の庄司紗矢香さんとか、上手な子がいっぱいいて、みんなすごく練習しているんだと驚きました。明くる年にもこのコンクールに出場して、幸い第2位になることができました。このとき出場した人たちは、今でもいろいろなところで活躍している人がたくさんいます。コンクールを通じて、音楽の世界を身近に感じるようになったんです。それから、習っている先生の演奏会を聴きに行ったり、有名なヴァイオリニストの公開レッスンを見に行ったりしました。 |
ヴィオラを手にしたきっかけは。 |
大学の授業で、楽譜の読み方を勉強するソルフェージュというのがありましたけれど、ハ音記号が読めませんでした。そこでヴィオラを始めたら読めるようになるのではないかと思って、オーケストラの授業でヴィオラを弾くことを始めました。1年生か2年生のときだったと思います。楽器は大学のものを借りて、たしかブランデンブルク協奏曲の第3番を演奏しました。ただ、当時はきちんとさらってくる人が少なかったためもあって、オーケストラの授業には魅力を感じませんでした。そこで、代わりに弦楽アンサンブルの授業を選んで、夢中でヴァイオリンを弾きました。 |
どんないきさつでN響へお入りになったのでしょう。 |
大学を出てからすぐに就職するつもりで、N響に入りたいと思いました。ところが、ヴィオラで弾ける曲がひとつもないのです。ちょうどN響アカデミーがヴィオラを募集していたので、バルトークの協奏曲の第1楽章とホフマイスターの協奏曲を練習して受験して、幸い受かることができました。N響アカデミーというのは、楽員のかたのレッスンを受けたり、練習や演奏会を見学したりすることができて、もし空きがあれば演奏会に乗ることもできるというものです。ここで、オーケストラがこんなにおもしろいものだということを、初めて知りました。 |
バルトークのヴィオラ協奏曲を選んだのは。 |
ヴィオラの協奏曲というのは、あまり多くありません。代表的なものは、バルトーク、ウォルトン、ヒンデミットくらいでしょうか。ホフマイスターやシュターミッツのは編成が小さいので、なかなか採り上げにくいでしょう。バルトークは自分に合っているかなと思っていて、N響アカデミーのオーディションのときを含め、何かの機会によく弾いていました。N響に入ってからは、経済的に少しゆとりもできて、ヴィオラのいろいろな曲を練習しました。お休みをいただいて、海外のコンクールを受けに行って、バルトークを弾いたこともあります。バルトークの国ハンガリーは、ヨーロッパの中でも少し変わっていて、アジア系ですから、日本人に通じるところがあるように思います。アクセントの付け方とかに、日本人に近いものがあるのではないでしょうか。 |
(聞き手 鈴木 克巳) |
練習風景 |
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