*メンデルスゾーン 交響曲第3番 イ短調(2007年9月24日 第21回定期演奏会プログラムより) |
1829年、二十歳になったメンデルスゾーンは、自らも「大旅行」と呼ぶ長い旅に出た。両親の銀婚式に合わせて一時的に帰郷したものの、1829年4月に訪れたロンドンを皮切りに、スコットランド、ドイツ、オーストリア、イタリア、スイス、フランスを周り、さらにロンドンを再訪してから、1832年6月にベルリンに戻るという実に長い旅であった。この旅の目的は三つあったと言われている。 1829年7月26日の夕刻、メンデルスゾーンはスコットランド、エディンバラにあるメアリ・スチュアートゆかりのホリルード宮殿を訪れる。メアリは生後6日でスコットランド女王に即位、政略結婚のため5歳でフランスに渡り、15歳の時に皇太子フランソワと結婚するが、フランソワは即位2年後に死去、スコットランドに戻る。ダーンリー卿との再婚、従僕リッチョとの不倫、嫉妬に狂ったダーンリー卿のリッチョ殺害、報復を計った(とされる)メアリによるダーンリー卿殺害。ボズウェル伯との再々婚で人々の反発を招き、廃位されて亡命、ついにはエリザベス女王暗殺未遂の陰謀に加担したと疑われ、45歳で断頭台の露と消えた。波乱の生涯を生きた、まさに悲劇の女王である。 「深い黄昏の中、私たちは今日、女王メアリが人生を送り、愛を営んだ宮殿へ行きました。」 「かつてここでメアリ・スチュアートは輝かしい人生を送り、またリッチョが殺害されるのを目の当たりにしたのです。私には、時間がとても早く過ぎ去ったかのように思われます。というのも、私の前には、現代と並んでこんなにも多く過去のものがあるからです。」 「宮殿の脇の礼拝堂には今は屋根がなく、草や蔦が中に茂っています。──そこでは全てが壊れ、朽ち、そこに明るい空が光を差し込んでいます。思うに、私は今日そこで、私のスコットランド交響曲の始まりを見つけました。」 この日この場所でスケッチされた16小節のフレーズが「交響曲第3番イ短調」として完成するのは、それから14年後のことである。その間、他の作曲や指揮者としての仕事に忙しく、ほとんど従事していなかったというのが今までの通説となっているが、親しい人たちへの書簡には、この交響曲の作曲を幾度も試みようとする彼の言葉が残っているという。書こうと思っても書くことが出来なかった、二十歳の時に得た霊感を交響曲として完成させるには、14年間の熟練と試行錯誤が必要だったと見る方が妥当であろう。 「交響曲の四つの楽章は中断無しに進行すること」という演奏上の指示は、メンデルスゾーン自身のものである。序奏を持つメランコリックな第1楽章、牧歌的で民俗調豊かな第2楽章、無言歌風の旋律と葬送行進曲風の旋律が交互に現れる第3楽章、二つのコーダを持つ勇壮な第4楽章。それぞれ全く異なる曲想を持っているが、続けて聴くことによって、全体が独特の響きに貫かれていることに気付かされる。この貫かれた基調こそが、メンデルスゾーンが肌で感じたスコットランドの空気だと言ってよいだろう。 ホルリード宮殿そばの朽ち果てた聖堂に佇み、メアリの生涯と人生の儚さに想いを馳せて16小節のフレーズをスケッチしたメンデルスゾーンは、全てを飲み込んで流れ続ける時間の確かさを感じ、それでもなお変わることのないスコットランドの広大な自然へと辿り着いたのだろうか。メンデルスゾーンが38歳の若さで亡くなってから、今年でちょうど160年が経つ。今もスコットランドの大地にはヒース草が生い茂り、潮を含んだ強い海風が草原を吹き抜けている。 (ホルン 吉川深雪) 編成:Fl.2, Ob.2, Cl.2, Fg.2, Hr.4, Tp.2, Tim.1, Strings |
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