*チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(2008年3月9日 第22回定期演奏会プログラムより)

 この交響曲ほど先入観におおわれてきた作品は珍しいかもしれません。ロシアを代表する作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840−1893)自身の指揮によって世界初演されて1週間ほどしか経たないうち、53歳で突如逝去。これがチャイコフスキー最後の大作となったことから、あまりに突然の死がさまざまな憶測を呼ぶことになったのです。
 彼が亡くなったのは、生水からコレラに感染したためとも、その余病によるためとも言われました。しかし、巨匠逝去の一報が衝撃をもたらすとともに、その直後から「チャイコフスキー自殺説」が囁かれはじめます(現在では研究の成果により否定されています)。
 このあまりに強烈な感情に満ちた交響曲は、人生に別れを告げる覚悟を決めた遺書のようにきこえたのかもしれません。没後ほどなく開かれた追悼コンサートで「悲愴」が再演されたとき、会場を埋めた聴衆から嗚咽が洩れたというのもうなずけます。
 しかし、チャイコフスキー自身はある手紙の中でこんなことを書いています。

「‥‥この交響曲には標題性はあるが、それは誰にとっても謎であるべきだ。想像できる人に想像させよう。ここにおける標題性は、全く主観的なのだ」

 本日お越しくださいましたお客様には、どんな音楽が届くでしょうか。「人生への別れ」「終末の慟哭」でしょうか。けれど、この作品には豊かな歌とリズムの見事な昇華、そして力みなぎる構成美が響いていることもお届けできればと思います。「悲愴」のロシア語原題「パティーチェスカヤ」を日本語にすると「強い感情」が最も近いとか。特に「悲」というイメージはないというあたりに注視いただければと思います。初演の前に作品タイトルを練っていたチャイコフスキー自身も、弟から出された「悲劇的」という案を却下したくらいだそうです。
 画家が絵画をもって・詩人が言葉をもって自己の内面を顕したように、チャイコフスキーは音楽、「交響曲」という表現方法をもって「人生」といったものに対する自己の考えや内面を表してきました。この曲を、彼の人生をめぐる走馬灯と解することもできるかもしれません。――甘美な思い出に心を馳せるような第2楽章、自らの芸術の力の勝利を鼓舞するかのような第3楽章、そして終末への慟哭の第4楽章。ここには死の予感と絶望があるだけ、と解することも可能かもしれません。彼の謎掛けの答えを私たちが知るすべはありませんが、ひとつ言えるとすれば、この音楽が、個人的・主観的な内面の記録であるにもかかわらず、普遍的な問いを私たちに投げ続け、私たちの内に響き続けているということかと思います。

第1楽章 アダージョ―アレグロ・ノン・トロッポ
コントラバスの重く空虚な和音の上に、ファゴットの動機があらわれます。この楽器には演奏至難なpp(ピアニシモ。ごく弱く)から始まり細かく表情指定がされたこのメロディ、世界中あまたのオーケストラでファゴット奏者を悩ませてきたであろう旋律です。。やがて、速度をあげて主部へ。焦燥感に満ちた不気味な第1テーマ(上昇→下降/よく聴くと序奏のファゴットの動機から発展したものです)が喘ぐようにはじまり、やがてあらわれる第2テーマ(下降→上昇)がまったく対照的に、弱音器つきの弦楽器が美しくなめらかにそして陰をおびて歌います。‥‥遠い日の憧憬にも似たクラリネットのメロディが、再び陰鬱な呟きへ呑まれてゆくと、ファゴットには演奏不能な「pppppp」というギネス級の最弱音指定の部分を経て、オーケストラ全体が一発炸裂。荒れ狂う弦楽器を刺し貫くような管楽器の叫び‥‥激しい苦闘は、やがて嵐の果てに消えてゆきます。

第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア
チェロが優美に歌いだす舞曲調のテーマはワルツにきこえるのですが、実は2+3の5拍子。ロシア民謡によく見られる変則拍子です。チャイコフスキーはバレエ音楽「眠れる森の美女」などでも、変拍子を用いてダンスに微妙な陰翳をつけてみせましたし、交響曲第5番には、交響曲には異例なことに、ワルツも入れてみせました。そんな大胆さをさらにおしすすめたのが、この楽章です。三部形式の中間部では短調の甘く憂いに満ちたメロディを弦が歌いますが、その下でとつとつと叩かれるティンパニと低音楽器の同音の連打が、不安な鼓動のように響き続けるのが印象的です。

第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
ふつう、交響曲でこの位置に置かれるのは快活なスケルツォですが、「悲愴」では、珍しいことに、急速なスケルツォ動機と、跳躍する行進曲のような動機が入れ替わりに登場します。ただスケルツォで軽く踊るでもなく、行進曲で煽るだけでもなく3連符系の動きと2拍子系の動きが交互に、あるいは同時に織り込まれることで、直進的な音楽に手ごたえと深みが生まれているというわけです。しかし音楽は、最後に全て行進曲調に呑み込まれていき、そして強烈なピリオド!‥‥に、思わず拍手してしまいそうになりますけれど、曲はここで終わりませんのでご注意を。

第4楽章 アダージョ・ラメントーソ
感情の揺れ動きを深く反映したような、弦楽器のテーマ。楽譜をご覧戴かないと分かりづらいのですが、このメロディは第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの奏者たちが、1音ずつ交互にハーモニーの上下を入れ替わりつつ弾いています。きこえてくるメロディを、その通り弾いている奏者は誰ひとりいないのです。とてもシンプルな音型ですが、弓はつねに広い音程のあいだを跳躍しているので、どこかできしみがうまれ、喘ぎ呻くような響きを生みます。「強い感情」をこめた音楽はゆっくりと進み、ファゴットが奏する息長い下降音型に沈んでゆきます。拍打とずれながらも規則的に続く特徴的なリズムが始まると、三部形式の中間部。やはり下降音型から歌いはじめる弦が、美しい歌を切れ目なく充たしながら執拗に上昇してゆきますが、その昂揚もやがて強烈な下降音型と打撃に断ち切られます。冒頭のテーマが戻り(今度は交互ではなくメロディ通りに弾きます)、激烈な感情。この世との別れの合図のようなタムタム(銅鑼)の重い一打(この楽器はここ1回しか使いません!)。トロンボーンの深いコラール、重くひきずられる低弦。もはやメロディのない世界へと歩を進める鼓動だけが残り、消えてゆきます。‥‥余韻がすっかり消えるまで、どうぞ私どもと静寂をご共有いただければと思います。

*この解説の一部は、山野雄大氏の「悲愴」解説(キングレコードKICC374)より著者の許諾を得て参照・引用いたしました。この場をお借りして感謝申し上げます。
*参考図書 森田稔「新チャイコフスキー考―没後100年によせて」 日本放送協会出版

(ファゴット 二村純子)

編成:Fl.2, Ob.2, Cl.2, Fg.2, Hr.2, Tp.2, BD.1, Cym.1, SD.1, Tri.1, Castanets1, Strings

 

 


 

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