*ヴェルディ レクイエム(2013年9月8日 ヴェルディ生誕200年記念特別演奏会プログラムより)

 ジュゼッペ・ヴェルディ(1813−1901)はイタリアの作曲家で、今年はちょうど生誕200周年にあたります。「ナブッコ」「リゴレット」「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」「アイーダ」など、さほどオペラに明るくない人でも一度は耳にしたことがあるような数々の有名な作品を残したイタリアオペラの大家です。その作品はほぼすべてに歌を含んでおり、室内楽曲は1873年に手すさび的に書かれた弦楽四重奏曲ただ1曲のみです。農業にも勤しみ、晩年には私財を投げ打って「音楽家たちの憩いの家」をミラノに建設するなど、その人生においてさまざまな事柄に取り組みました。
 ヴェルディが「レクイエム」を作曲する第一のきっかけは、1868年11月、ロッシーニがパリで亡くなったことでした。ヴェルディは知らせを受けてその死を深く悼むとともに、一周忌にレクイエムを捧げる計画を立てました。その当時イタリアで定評のあった作曲家たちによる連作となる予定でしたが、この計画はさまざまな問題により実現することができず、彼の手元には、自らの担当箇所であり、すでに書き上げていた最終楽章「リベラ・メ(私をお救いください)」だけが残りました。
 その約5年後、今度は最も尊敬するイタリアの詩人、アレッサンドロ・マンゾーニ(1758−1873)の訃報に触れます。彼の書いた本を「私たちの時代における最大の書物であるばかりでなく、人間の知性から湧き出た崇高な本のひとつ」と絶賛していたヴェルディは、彼が亡くなった翌日、楽譜出版業者リコルディ宛ての手紙で、「我が国の偉人の死を深く悲しんでいます! しかし私は、明日ミラノへは行きません。葬儀に参列する勇気がないのです。近いうちに私ひとりで、他の人に知られないように墓参に行くつもりです。恐らくその時、追悼のための何かを提案することになるでしょう」と述べています。この時すでに、かつてロッシーニの追悼のために書いた「リベラ・メ」を再び開いて手を加え、今度は独力で全曲を書き上げることを考えていたのでしょう。訃報から約2週間ののち、彼はようやくマンゾーニの墓所を訪れ、その後、作曲に着手しました。
 初演は1874年5月22日、マンゾーニの一周忌。ミラノのサン・マルコ寺院にて、100名の管弦楽団と120名の合唱団、当時のイタリアの代表的なソリストたちとヴェルディ自らの指揮によって、故人の霊前に捧げられました。演奏は大絶賛を受け、すぐにスカラ座で3回の再演がなされ、その後もヨーロッパ・ツアーが企画されて、パリ、ロンドン、ウィーンなどで公演を行い、ヴェルディは全ての日程に同行して指揮をしています。しかし各地での「レクイエム」に対する意見はさまざまでした。ドイツの指揮者、ハンス・フォン・ビューローの「聖職者の衣をまとったヴェルディの最新のオペラ」という痛烈な批判を聞いたブラームスは、スコアを取り寄せて研究したのち、「ビューローこそ笑いものだ。ヴェルディの『レクイエム』は天才的な作品だ」と述べているのです。なお、ビューローは20年もの歳月が経ったのち、この批判についての謝罪の手紙をヴェルディへ送っています。
 このころ60歳を迎えていたヴェルディは、マンゾーニをはじめ身近の尊敬する人々の死に触れ、「レクイエム」を書きながら「死」について深く考えていました。どんな幸せや苦しみがあり、闘いや喜びがあっても結局は無に還ってしまうということに対する恐怖と不安、そしてマンゾーニへの思いから動揺し乱れた心の中から生まれてきたこの曲は、死への畏怖の念が色濃く出ていると言えるでしょう。「レクイエム」とは「安息」を意味し、死者が安らぎをもって天国へ迎え入れられるよう神に祈るというのが本質です。それ故この「レクイエム」が、当時の信仰深い人々から批判の対象とされてしまったのは無理もないことです。ですがこの曲は、亡くなった人のためだけではなく、それを受け入れて悲しみを克服し、再び前を向いて歩いていくための、今を生きている人々のための音楽でもあるのではないかと、筆者には思えてなりません。

第1曲 レクイエム
 チェロの静かな下降系の旋律から始まります。続いて弦楽器と合唱が祈るように歌い、転調していきながら神秘的な曲調で進みます。途中、無伴奏合唱のバスからのフーガ、テノールの独唱からのソロの四重唱が展開していき、やがて静かな雰囲気へと戻っていきます。

第2曲 怒りの日
 レクイエムの中心となる部分で、最後の審判の情景やそれを免れるための祈りなど、歌詞が長く変化に富んだ、この作品の中で最長の曲。次の9曲で構成されており、「ディエス・イレ(怒りの日)」という2つの言葉が各所で繰り返され、全体をひとつにまとめています。
1. 怒りの日
 全曲中最も有名な導入部分ではないでしょうか。強烈なフォルティッシモで奏される4つの主和音に続いて合唱が絶叫の如く加わり、最後の審判の恐ろしさをまざまざと想起させます。やがて激情もおさまり合唱がささやくように歌い始めると、遠くからトランペットのファンファーレが聞こえてきます。
2. 不思議なラッパ
 死者を呼び覚ますファンファーレは、舞台上と離れた位置のトランペットの呼応に金管楽器が加わっていき、不吉で圧倒的な全合奏へ。合唱を3連符のファンファーレがさらに盛り上げ、最高潮に達すると唐突に嵐は止みます。その後バスの独唱となり、弦楽器の音形はあたかも死の足音のように、バスも「モルス(死)」の言葉を休止しながら繰り返し呟きます。
3. すべてが書き記された書物
 この冒頭部分は初演時には合唱曲でしたが、その後のツアー中にヴェルディ自らメゾソプラノのソロ曲に書き替え、ロンドン公演で披露したのちそれを決定稿と定めています。印象的な独唱の中盤になると合唱が「ディエス・イレ(怒りの日)」を繰り返し始め、再び怒りの絶叫が始まります。
4. その時、哀れな私は
 前曲からがらりと雰囲気を変え、ファゴットの分散和音に導かれるようにメゾソプラノ、テノール、ソプラノと加わっていき三重唱となります。弦楽器のハーモニーを背景にした美しい四重奏です。
5. 恐るべき大王よ
 三重唱に応えるように、今度は合唱のバスと低音楽器群がフォルテシモで荘厳に歌います。そしてバスの独唱に始まる旋律が各独唱、そして合唱へと歌い継がれ、「サルヴァ・メ(私をお救いください)」と転調を重ねながら繰り返されます。
6. 思い出してください
 メゾソプラノの独唱に続いてソプラノも加わり、二重唱で歌い継ぎます。オペラのように豊かな旋律を、木管楽器と弦楽器が彩ります。
7. 私は罪人として
 引き続きオペラのアリアのようなテノールの独唱。流麗な旋律には途中から木管楽器が加わり、オーボエとの掛け合いがあり、そして低弦群も旋律を美しくなぞらえていきます。
8. 呪われた者ども
 弦楽器の急激な上昇音階に導かれて、バスの独唱が激しく現れます。やがて一度は落ち着くものの、不意にまた「怒りの日」が再来、しかし今度は長続きせず、ヴァイオリンの流れるような旋律に乗って最後へ向かいます。
9. 涙の日
 叙情的で深い悲しみと祈りに満ちた曲で、メゾソプラノの独唱から始まります。さまざまなアンサンブルを経て無伴奏の独唱四声部のコラールを聴いたのち、旋律は次第にひとつの音へ向かい、明るく静かな和音で祈りを結びます。

第3曲 奉献の祈り
 チェロの上昇音階と、それに応える木管楽器によって始まり、まずメゾソプラノとテノールが加わります。この曲に合唱はなくソリストによる四重唱で、主題がさまざまな高さで繰り返されていき、途中少しテンポを上げて華やかな面を見せつつも最後は死者の救済を穏やかに願います。

第4曲 聖なるかな
 トランペットの力強いファンファーレで始まる4曲目は、合唱のみで歌われる唯一の曲。神の栄光を讃えるかのような輝かしい二重フーガが展開されていき、最後には全合奏による半音階の嵐によって華々しく終わります。

第5曲 神の小羊
 冒頭のソプラノとメゾソプラノの独唱による無伴奏のオクターヴ、それに続く合唱とオーケストラのユニゾンが非常に印象的な曲で、その後もほぼ同じ旋律を繰り返しながら調性と伴奏が変化していきます。平和のための祈りは、静寂の中にどこか素朴な美しさを持っています。

第6曲 永遠の光
 ミサの中でも最も神聖とされる祈りに相応しい、神秘的な空気を持つ曲。メゾソプラノ、テノール、バスの三重唱により、最後は天から光の降り注ぐようなオーケストラに伴われて、死者を照らす永遠の光を願います。

第7曲 私をお救いください
 全曲のエッセンスを集約したような実に壮大な音楽、と書きたいところですが、この曲が一番初めに着手されたことを考えると、全体のイメージは「ロッシーニ・ミサ」の時すでに出来上がっていたのかもしれません。ソプラノの朗唱から始まり、「怒りの日」が再現されてやがてソプラノ独唱が合唱を伴って美しく歌い上げます。その後急速に雰囲気が変わり、壮大なフーガが始まると一気にクライマックスへと向かいますが、最後はやはり静かに、そして敬虔に全曲を閉じます。

(トロンボーン 林 絵理)

楽器編成:
フルート3(ピッコロ1)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット4、ホルン4、トランペット8(うち4本はバンダ)、トロンボーン3、オフィクレイド(テューバ)1、ティンパニ、バスドラム、弦楽5部、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バス、混声四部合唱。

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/