*ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」(2016年2月14日第36回定期演奏会プログラムより)

 「楽聖」と称されるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770–1827)は、西洋古典音楽史にその名を燦然と輝かす、ロマン派の源流となった偉大な作曲家です。
  ベートーヴェンはドイツのボンで、宮廷歌手として成功した同名の祖父ルートヴィヒをはじめとする音楽家の家系に生まれました。しかし父のヨハンは歌手として大成することなく酒に溺れ、家計を祖父の稼ぎに頼っていました。ベートーヴェンが幼少の頃に祖父がこの世を去り、生活が困窮するようになると、父ヨハンはベートーヴェンの才能を当てにして虐待ともいえるスパルタ式の教育でピアノ演奏を教え込み、少年音楽家として売り出します。こうして10代になるころにはベートーヴェンは祖父に代わって家計を支えることとなりました。
  かねてよりの憧れであったモーツァルトへの弟子入りは最愛の母マリアの病死により叶わなかったものの、その後ハイドンに認められて弟子入りし、本格的な作曲技術を学ぶこととなります。ピアノの即興演奏の名手として名声を博していたベートーヴェンですが、1794年には処女作となる「ピアノ三重奏曲」を発表し音楽家への道を歩み始めます。
  ところが、ベートーヴェンを28歳のころから難聴が襲い始めます。30歳のときにはもうほとんど聞こえなくなっていたようです。聴覚を失うという音楽家としては致命的ともいえるダメージを受け、一時は自らの命を絶つことすら考えたほどでしたが、その苦難を強靱な精神力で乗り越え、作曲に専念することで音楽家としての道を貫くことを決意しました。
  そんなベートーヴェンが1804年に完成した交響曲が、第3番「英雄」です。これを皮切りに10年間にわたり「運命」「田園」などの交響曲やピアノソナタ、オペラなど中期を代表する多数の楽曲を次々と作曲していきます。この10年間は「傑作の森」と呼ばれ、中でも2年をかけて完成した「英雄」は、それまでの古典派の常識を打ち破りロマン派への橋渡しとなる画期的な作品といえます。
  「英雄」の作曲をすることになったきっかけについては実のところよくわかっていませんが、ベートーヴェンはフランス革命の英雄ナポレオン・ボナパルトに共感を抱いており、この交響曲はナポレオンに献呈するために作曲されました。清書したスコアの表紙には「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞も書いて準備していましたが、ナポレオンが皇帝に即位したという報を聞いて「彼もまた俗物に過ぎなかった!」と激怒します。献辞はペンでかき消され、新たに「ある英雄の思い出のために」と書き加えられ、題名も「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)」と改められました。
  今回の演奏会では、「ドン・ファン」も「英雄」も「アレグロ・コン・ブリオ(活気をもって快速に)」で始まります。この「英雄」も力強い和音で第1楽章が始まると、その後チェロによって有名な「英雄」のテーマが奏でられ、力強い中にも豊かで華やかな、まさに英雄の雰囲気です。第2楽章は「葬送行進曲」と題され、英雄の死を悼むその主題はことに有名です。第3楽章は軽快なスケルツォ。ベートーヴェンはホルンに精通しており、中間部にある3本のホルンによるアンサンブルが美しく響きます。第4楽章は「英雄」の少し前に作曲したバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲のモチーフが用いられた異例の大きさを誇る変奏曲。10の変奏が次々と続き、最後の盛り上がりへとつながっていきます。

(オーボエ 刈込 佐奈恵)

編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 3、トランペット 2、ティンパニ 1、弦楽 5 部。

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/