*ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 作品92 (2018年9月17日 第41回定期演奏会プログラムより)

 通っていた小学校の音楽室には、作曲家たちの肖像画が貼ってあった。最近になって知ったのだが、1967年に旧文部省が中学の音楽教材として、世界の音楽家の肖像画を音楽室に掲示するよう求めたのが始まりのようだ。24人の作曲家からなる「世界大音楽家肖像画セット」も発売されていた(増補版は現在も販売されている)。日本中の学校の音楽室に肖像画が貼られていたことになる。たくさんの絵の中から、鋭いまなざしに射貫かれて私が最初に目を留めたのも、「弁当ベン?」といちばんに名前を覚えたのもベートーヴェン(1770–1827)だった。同じような経験を持つ方もいるのではないだろうか。年末の人気イベント「第九」も手伝って、誰もが顔を知ることになったベートーヴェン。今でこそクラシック音楽の代名詞のような存在だが、存命当時は音楽界の異端児、革命家だった。
 ベートーヴェン以前の作曲家は、王侯貴族の庇護のもと、彼らの楽しみのために曲を作らなければならなかった。たとえ悲しい曲調、激しい曲調であったとしても、娯楽として成り立つことが第一条件だったのである。特に舞踊のための音楽にはルールが多く、似通った曲になるのはしかたがなかっただろう。次から次へと催される晩餐会や舞踏会のために、数多くの曲を素早く作る必要もあった。ベートーヴェンも宮廷オルガン奏者助手という地位で音楽家としての道をスタートしている。モーツァルトとベートーヴェンはわずか14歳しか離れていないが、作曲家としての立場を決定的に分けたのは、フランス革命に代表される資本家たちの台頭である。音楽を聴く者が王侯貴族から市民階級へと替わっていく中、ベートーヴェンは、庇護から離れて自立すること、単なる音楽家ではなく芸術家として生きることを望んだ。雇い主に媚びた消費される音楽ではなく、精神の奥深くに踏み込み、人類の糧となる音楽を生み出すために。「音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である」。「音楽があなたの人生の重荷を振り払い、あなたが他の人たちと幸せを分かち合う助けとなるように」。
 その真髄は九つの交響曲の中にも宿っている。交響曲、シンフォニー。語源の「シンフォニア(調和した響き)」は、もとはオペラやオラトリオの中の序曲や間奏曲といった器楽曲を示す言葉でもあった。その器楽曲を単独で演奏したことが交響曲の始まりである。交響曲は発展し、整備され、定義づけされ、ハイドンやモーツァルトの時代には基本的なスタイルが確立した。管弦楽によって演奏されること。3もしくは4楽章で構成されていること。調性、楽想の上で全体の統一が図られていること。楽章のうち少なくともひとつはソナタ形式で書かれていることなど、たくさんのしきたりがあったが、ベートーヴェンは伝統にとらわれることなく、大胆に書き進めていった。規模や内容を充実させる。管楽器の編成を拡大し、チェロパートとコントラバスパートを独立させる。スケルツォや変奏曲を取り入れる。交響曲第5番では、交響曲史上初めてトロンボーン、コントラファゴット、ピッコロを使用。およそ旋律的ではない短い動機を主題として全体を貫き、第3楽章と第4楽章を連結するという試みを行った。なにより「慟哭から闘争、祈り、そして勝利へ」という劇的な流れは、のちの音楽にも大きな影響を与えている。交響曲第6番では「田園」という標題的要素を取り入れた。5楽章形式を取りながらも、第3、第4、第5楽章を連結させることで大きなフォルムを作っている。この連結という手法は、単一楽章の交響詩が誕生するきっかけのひとつとなったのではないだろうか。

 新しい交響曲を求めてさまざまな作曲法を創り出してきたベートーヴェンが、次に可能性を見いだしたのが「リズム」だった。それが交響曲第7番である。全体は古典的な交響曲の形式に沿っていて、それゆえにいっそう、全てを支配しているのがリズムだということが際立つ。
第1楽章 ポコ・ソステヌート〜ヴィヴァーチェ やや音を保って〜活発に
 オーボエから始まる印象的な序奏のあと、一転して快活な付点のリズムが湧き上がってくる。旋律や和声はさまざまに変化していくが、常にこの付点のリズムが根底に流れつづけ、力強く締めくくられる。
第2楽章 アレグレット やや快速に
 全楽章の中でいちばんテンポの遅い楽章だが、それでもアレグレット。アンダンテ(ゆるやかに)、アダージオ(ゆっくりと)といった緩徐楽章がないのも第7番の大きな特徴である。葬送行進曲風なリズムが一貫して繰り返される中、天上のように美しい旋律が奏でられる。
第3楽章 プレスト アッサイ・メノ・モッソ 急速に はっきり速度を落として
 活気溢れる楽しいスケルツォと穏やかなトリオが交互に登場。くったくのない明るい魅力をたたえている。
第4楽章 アレグロ・コン・ブリオ 活気をもって快速に
 熱狂の楽章! とりわけリズミカルな曲で、本来は弱拍のところにビートを持ってくるリズムは、ロックやポップスのドラムスの拍子の取り方と同じである。アイルランド民謡を引用したといわれる第1主題と、執拗なまでの付点の繰り返しによる第2主題が次々と展開されていく。疲れを知らず駆け上る熱狂をただただ感じてほしい。

 第7番は初演から人気を博した珍しい例だ。他の交響曲は、オーケストラの演奏が初演までには整わなかったり、聴衆がベートーヴェンの新しい考えに即座にはついていけなかったりで初演の評は芳しくなく、あとから好評を得るということが多かった。第7番の初演演奏会は、「ウエリントンの勝利」という大砲を使った派手な曲と一緒に演奏されたこともあってか、空前絶後の大成功を収め、早くも4日後には再演されたほどだった。ワーグナーやリストも絶賛。新聞評にも「喝采は高まり、陶酔までに達した」「第2楽章アレグレットは両日の演奏会でアンコールを求められた」とある。古典形式に近い馴染みの深いスタイルで、主題も明快だったので、音楽通でなくてもわかりやすかったことが理由の一つだろう。しかしなによりも、ベートーヴェンの狙い通り、リズムの扱いが勝利へと導いたのではないだろうか。
 辛辣な評価もあった。ベートーヴェンはこの曲を酔っ払って作ったのではないかと。終楽章の渦の中にいると、そんなふうに論じたくなる気持ちもわからないではない。けれど、もちろん、酔っ払っているのはベートーヴェンではない。「音楽は新しい創造を生み出す葡萄酒だ。そして私は人類のためにこの精妙な葡萄酒を醸し出すバッカスだ。精神の神々しい酔い心地を人々に与えるのはこの私だ」。

(ホルン 吉川 深雪)

編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、弦楽5部。

 

 


 

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